メンツの国で、レストランコンテストの審査員をしてみたら
中国のメジャーなレストラン雑誌が主催する「盛宴・中国 Top100」というレストランコンテストで、なぜか専門審査員に選ばれてしまいました。
軽い気持ちで引き受けたら審査員としての取材も行われ、なにやら大ごとです。
数か月にわたって何度か審査活動をし、結果は来春発表されるとのこと。
先日、とあるラグジュアリーホテルの中国料理レストランの審査会に出席しました。
他の専門審査員はプロの評論家やシェフ、テレビの司会者という顔ぶれです。単に美味しいものに執着があるだけで専門家とはとても言えない私はひたすら恐縮。
最近、中国の雑誌の取材はムービー撮影も一緒に行うことが多く、この日も会場入場時からムービーのカメラが入りました。
料理の一品一品はよくできていて、なかには素晴らしいものもありました。
が、コース全体の構成としては重いように思ったのと、もう少し思い切りがあってもいいのになあと思った料理もいくつか。
また、聞けば審査のために用意した特別コース料理で(ありがち)、普段のメニューにはないとのこと。それはお店としての評価になるのだろうか・・・。
難しいと思ったのはカメラが回る中、母国語ではない言葉で、作った人を前に他国の料理を評価すること。
私以外の専門審査員(中国人)はみんなほぼ絶賛しています。
これは常々感じることですが、メンツを重んじる国・中国ではどうも相手を褒めることはあっても、マイナスの意見はみんなの前では言わない人が多いように思います。
聞く側も批判(とまでいかないのですが)に慣れておらず、うっかり率直な感想を言ってしまうと相手を傷つけてしまうことがあります。
今回は別に辛口意見を求められて審査員に選ばれたわけではありません。
コメントを言う順番がきたとき、咄嗟にバーッとこんなことが頭に浮かびました。
自国の評論家が褒めている中、思った通りの感想を批判と受け取られないように表現できるほどの語学力があるか?
権威あるメディアでカメラが回る中、外国人から上手くもない言葉でマイナス部分を指摘されたらどう思うか?
しかも、相手は有名ホテルのシェフ。メンツ命。
日本料理の審査ならともかく、そもそも中国料理に対して厳しいコメントを求めているわけではない。
というわけで結局、カメラが回る中でのコメントはいいと思ったことしか言えなかった私。しかも微妙に緊張してしどろもどろ。
話した内容は嘘ではないのでいいのですが、日本語であれば相手に失礼にならない言い方で、もっとしっかり話せるのに・・・せめて採点だけは自分の思った通りにつけてみました。
一般審査員として参加していたデンマーク人が、英語でとても素直な意見を述べていました。
マイナス部分も指摘していて偉いなあと思ったのですが、結局みんなに通訳されたのは褒めた部分のみ。その後の記事にもマイナス意見は取り上げられていませんでした…。
まあこういうコンテストはエンタメ的な要素が強いのでしょうが、メンツを重んじる国での審査活動って難しいですね。
昔、テレビ番組「料理の鉄人」の審査員だった香港の蔡蘭さんは今でもご活躍です。
あの鋭い辛口コメントは中華圏においては異色なのだと思いますが、彼の場合は通訳もいて母国語で話せたのと、辛口のキャラが求められていたことが大きい。
そしてなにより、評価される相手と参加者に、マイナス要素も意見として聞く心構えがあった。これは重要です。
言葉の難しさと文化の違い、そして、自分は審査員には向いていないと痛感したのでした。
魚も鳥も情熱的なワラッセ・ティンの絵画展へ
ギャラリー「Longmen Art Projects 龍門雅集」にて、画家ワラッセ・ティン(丁雄泉)の特別展が始まりました。
上海で育ち、ニューヨークやパリを拠点に活躍した中国のアーティストです。
2010年に亡くなりましたが欧米でも人気があり、オークションではかなり高い値段がつくそうです。
人気ゆえ、たまーにニセモノを見かけますので、この機会にぜひ本物を!
今回は「無関風月 観風月」というタイトルで、テーマは“山水花鳥”。
ティンといえば美女シリーズといわれる女性を描いた作品が有名ですが、花や鳥など動植物の絵もとてもイイ。
本物は迫力が違います。
鮮やかな色彩、そして単純にも見える線に情熱と生命力があふれています。
「Rainbow in the Ocean」という大作が印象的でした。
キャンバスから泳ぎ出てきそうな魚たち。沖縄の海を思い出してしまった。
「Seven Parrots」。オウムからは生きる意志が伝わってきます。
渋いイメージがある山水画も、ティンが描くとこうなります。
WTarp10248,丁雄泉Walasse Ting,Mid 1990s,中国山水China Landscape,水墨 丙烯 宣纸Chinese Ink and Acrylic on Rice
画集には自筆でこんな言葉が書いてありました。
我的画室是一個花園
(私のアトリエは花園)
我的愛是像太陽下山萬紫千紅
(私の愛はまるで沈む太陽のように紫や紅、色とりどりに染まっている)
上海のギャラリーは基本的に自由に写真を撮ることができます。
会期は12月31日まで。ぜひギャラリーに足を運んで実物を見てみてください。
南京西路338号 天安中心大厦102室
※ワラッセ・ティンとギャラリーについてはこちらの記事でも紹介しています。
上海で暮らしてから、沖縄の深さがわかった、かもしれない
中国の雑誌の仕事で沖縄取材に行ってきました。実に6年ぶり。 滞在中、台風21号が到来したりして当初のスケジュールを若干変更したものの、撮影中は雨も降らずいい天気!!
青い海と空の南国リゾート、基地、本土とは異なる食文化、といったイメージが強かった沖縄ですが、久しぶりに訪れて、以前とは違った印象を抱きました。
とりわけ心に強く刻まれたのは、生活や文化のいたるところに琉球王国の時代に受けた古代中国の影響が色濃く残っていると感じたことです。以前は首里城に行ったときくらいしか意識しなかったのですが。
たとえば、伝統装身具をモダンに昇華させたアクセサリーの工房で、コウモリのモチーフを見かけました。中国では今でもコウモリは吉祥の意味があります。
昔の士族の住宅の前には「ひんぷん」と呼ばれる壁が立っていました。これは江南建築でみられる「屏風(ピンフォン)」そのもの。一緒に訪れた中国人スタッフも驚いていました。彼女によれば、沖縄の伝統的な装束はモンゴル族の民族衣装によく似ているとも。
沖縄料理も、あれ?中国で食べたことがあるかも、という料理が多いことに気がつきました。
昔ながらのおやつだという「ヒラヤチー」や「ポーポー」は中国の点心にそっくり。ポーポーは甘味噌などをクレープ状に包んだもので、名前も「包包」という中国語に由来。
炒める調理法が多いことも、ラフテーをはじめ豚肉の使い方も似ています。琉球在来種の高級豚として有名なアグー豚は、元は600年ほど前に中国から伝わった豚だそうです。戦争で絶滅しかけるも、復活を遂げた貴重な豚です。
また、街を歩いているとT字路のあたりでよく見かける「石敢當」と書かれた魔除けも、中国由来のものであることは有名です。中国の武将の名前であり、現在も中国のいくつかの地方に同じものが残っているようです。
一方、沖縄の言葉には「候文」と呼ばれる古代の和語の名残もよくみられるといわれています。古民家の内部のつくりなども日本家屋の様相です。
日本と中国の古い文化を濃厚に残しつつ、戦後のアメリカの影響も溶け込ませ、自分たちの文化を紡いでいる沖縄。島全体に力が漲っているように感じました。様々な国の租界がつくられ、哀しみも織り交ぜながら独自の文化を築いてきた上海と少しだけ似ている気がしました。
また、今回は観光スポットにショップ、ギャラリー、カフェ、工房、ホテル、ダイビングショップなど様々な場所を取材しましたが、取材をした人の中に本土から沖縄へ移住した人が結構いたことも心に残っています。なかには同郷の人もいたりしてなんだか不思議。上海で生活する私には、気持ちを共有できる部分がある気がして(勝手ですが)、思うところがありました。
沖縄の印象がガラッと変わったのは、街自体の変化もあるでしょうが、東京を離れて上海で5年過ごし、私自身が変わったことが大きいのかもしれません。
それにしても、中国人観光客が増えたことには驚きました。山奥のカフェでさえも中国語が聞こえてきました。台湾人や香港人が相当来ているほか、ビザの関係もあって最近は中国大陸からも多数来ているようです。
上海から沖縄に着いたときの飛行機で、こんなことがありました。
中国人の若い女性二人が我先にと人を押しのけてタラップを降りようとしたのですが、前にいたある日本人男性が彼女たちを止めて、中国語を使ってこう言ったのです。
「僕はここ沖縄の出身で、君たちが来てくれるのは歓迎している。でも、ここでは順番に通るのがルール。ちゃんと並んで待ってね」。
やさしい言い方で、注意された二人も「はーい」という感じで素直に待っていました。咄嗟にこういうふうに言えるのはすごい。
中国の人はマナーを守らないというよりルールが違う、知らない、といったほうが近いので(ただ、こういう行為を恥ずかしいと感じている中国人も大勢います。礼儀正しい中国人は日本人と見分けがつかないので目立たないんですね)、単に眉をひそめるのではなく、こういうふうにやさしく、はっきりと教えてあげられたらお互いに前進できるなあと思いました。これこそ観光客への思いやりであり、郷土愛とも言えるような。
観光都市として経験を積み重ねてきた、沖縄の大人な一面を見た気がしました。
食べ物とお土産のこと
沖縄の食材は生命力にあふれている。改めてそう実感しました。普段、上海で新鮮(かつ安全)な食材を探すのに苦労してい る私には夢のよう。とりわけ沖縄本島の北部、やんばるといわれる地方でとれる食材は、命を味わっている感じがします。葉もの野菜の香りと味の濃さ、大地のエネルギーを凝縮したような根野菜の力強さ。食事するごとに元気が湧いてくるように思いました。
鬱蒼とした森林、霧のような細かい雨、青く青く深い 海、海中の花畑のようなサンゴ礁、強烈な光を放つ太陽。自然の恵みがどれだけ得難く、どれだけ贅沢なものであるかは、失った環境にいるからこそわかるのかもしれません。
今回の取材を強力にサポートしてくれたのはアンドインディーさん! 日本のメディアでも有名なコーディネーション会社です。私自身、機内誌の編集者時代にお世話になったことがあり、6年ぶりの再会となりました。
ベテランコーディネーターのシュウちゃん(←年上です)はロケ地だけでなく沖縄全土の美食に精通し、取材の間の食事が毎日楽しみでした。
取材先以外では、シュウ先生の案内でこんな食事もしました。
行ってみたかったタコスの有名店「メキシコ」。タコスがこんなにおいしい食べ物だったとは! 皮の絶妙な柔らかさと香ばしさ、タコミートの品のよい味付け。オリオンのノンアルコールがあったのも嬉しい。いくつでも食べられそうでした。
台風が直撃すると思って午後のスケジュールをあけていたらコースが外れて晴れ!ということで、昼から那覇の渋ーい魚屋さんで海鮮の七輪焼きと缶ビール。最高。
「キビ○豚(きびまるとん)」という沖縄県産ブランド豚肉のしゃぶしゃぶも食べました。サトウキビや紅芋を食べて育った豚で、口どけがよく、脂身にもほんのり甘みがあって美味。お店は国際通りの裏手にある「Banquet Kitchen 沖縄食感」。リーズナブルに楽しめるおすすめ店です。
これは滞在先だった那覇のホテルユクエスタさんの朝食。イタリアンレストランでの日替わりプレートです。少しずついろいろな種類がのせられ、温かい料理が熱々で供されます。コンパクトなビジネスホテルですが、きれいでサービスもよく、快適でした。
最後に自分へのお土産として買ったものを。
沖縄は手仕事の宝庫。荷物をあまり増やしてはいけないと思いつつ、取材先で美しい器を見るとつい欲しくなってしまいます。
おおやぶみよさんのグラスは本当に買ってよかった!沖縄の明るい陽射しの中で選びましたが、上海に戻ってからも、曇り空でも雨の日でもブルーグリーンの光がほのかに揺らいで空間を美しくしてくれます。
粕谷修朗さんのお茶碗、谷口室生さんのお皿、ヒヅミ峠舎さんの小皿も早速使っています。みなさん沖縄に工房を構えているか、あるいは沖縄で修業されたことのある作家さんです。
那覇で手に入れた「名護珈琲」は沖縄でつくられている国産コーヒー。すっきり、かつまろやかな風味でおいしい。今回は行けませんでしたが、「ヒロコーヒーファーム」にも再訪したいです。
これは沖縄産の紅茶「raffiane クラシック」。世界三大紅茶で知られる中国の祁門(キーメン)紅茶の味わいに似ている!いや、祁門紅茶よりクセがなく、やさしい風味があり、個人的にはさらに好み。無農薬です。滞在ホテルの部屋に用意されていた「沖縄ティーファクトリー」というブランドの琉球紅茶もおいしかったし、沖縄生まれの紅茶、注目です。
気がついたら器と飲み物ばかりですが、さらに「瑞泉 おもろ 10年」という古酒(クース)も買ってしまった私。お店の人から沖縄の黒糖をなめつつ飲むのが通と聞き、本当かしらと上海で試してみたところ、なんだかなんだか、人間がだめになりそう。。ほどほどにします。
まだまだ紹介したいことがたくさんありますが、このあたりで。
とにかく、沖縄の自然と文化の深さを強く感じ、以前に増して興味と親しみを覚えたのは、上海で暮らしたからではないかと思っています。
戦略的!? 中国のスターバックスカードとアプリ
5年前に上海で語学留学をしたときは、スターバックスにはどちらかというと外国人が多い印象でした。しかし、いつの間にかお客さんの圧倒的多数は中国人。店舗数が世界2位までに増え、内陸部への進出も進んでいます。
上海・江南のわざわざ訪れたい6店を紹介したAll Aboutの記事はこちら。↓
日本円で考えるとドリンク一杯500円前後、サンドウィッチやスイーツなどちょっとしたフードを頼めば1000円近くかかりますが、今の上海では「特に高いわけではない一般的なカフェの値段」として浸透。ここ数年で中国の中間所得層が一気に厚みを増したことがわかります。
ただ、あらゆる国からコーヒーチェーンが進出している上海で、人気を継続していくのは至難の業。最初は勢いがあったお店も、多くが2年くらいで静かになってしまいます。
その点、1999年に中国に1号店をオープンさせたスタバは絶えず戦略を練っているように思います。
中国向けの戦略のうち、スターバックスカードと会員用アプリがなかなか面白いので、このブログで紹介したいと思います(旅行者は使う機会が少ないため、All Aboutの記事のほうには載せていません)。
リピーターにならないと元がとれないスターバックスカード
中国のスターバックスカードは「星享卡(Starbucks Rewards)」と呼ばれています。チャージをして使うプリペイドカードではなく、特典付きのポイント制会員カードです。値段は88元。
スタバでお会計をするとカードを買わないかとすすめられます。お金を払って特典を買うようなものなので最初は断っていましたが、ものは試しで昨年買ってみたら、これがなかなかユニーク。
ちなみに、デザイン違いや+αの特典がついたもう少し高いカードもあります。ギフト用のプリペイドカードは別に販売されています。
カードが使えるようになるのはオンライン登録をしてから。
50元(約1000円)ごとに星が一つつき、星を5個集めるとグリーン、25個でゴールドとランクが上がっていきます。特典は以下のような内容です。
カードを購入した時点のウェルカムレベル
- 一杯買ったら好きなドリンクをもう一杯もらえる特典が3回分
- 午前11時までに使えるドリンク一杯無料券
- 無料でサイズアップ1回分
グリーンレベル
- ドリンクを一度に3杯買ったらもう一杯もらえる(←個人的にはめったに使う機会なし)
- 誕生月にドリンク一杯無料券
ゴールドレベル
- グリーンレベルの特典継続
- 会員登録をした一周年の月にドリンク一杯無料券
- ドリンクを累計10杯買うごとに一杯無料券がもらえる
ドリンクは30元前後のものが多数。
おわかりのように利用しないと88元の元がとれないので、カードを買ったらついリピーターになってしまうという仕組みです。なかでも「一杯買ったら好きなドリンクをもう一杯もらえる」のは、誘ったほうがおごる習慣のある中国人をよくわかっている特典だと思います。グリーンレベルになれるハードルが低いこともポイント。
投資したからには元を取り返したい、会員のステータスを得たいという心理(中国人に限らずですが)をうまくついています。
また、特典が一番豊富なのは実はカードを購入した時点。なので、グリーンやゴールド会員となった後に新規でカードを購入する人もいます。
ゴールド会員になるとカスタマイズされたカードが登録住所に送られてきます。
カード代わりになる会員用の公式アプリ
会員用のスタバの公式アプリもよくできています。カードホルダーになったらダウンロードします。
ポイント数や特典の残りの確認はもちろん、過去に注文した内容や値段、日時も記録されます(注文や利用店などの傾向がすべてスタバ側に把握されてしまうわけですね)。GPS機能でどこにいても近くのスタバを営業時間込みで探すこともできます。
注目は最近のアップデートでアプリ内に自身のデータが記録されたQRコードがついたこと。これをレジで見せればカード代わりになります。ポイントカードを何枚も持ち歩いたりせず、なんでもスマホ一つで済む中国ではこの機能は結構大事なのかもしれません。
また、アプリを通して新メニューなどのお知らせが来るほか、カード特典とは別に商品の割引券や期間限定のドリンク無料券が突然プレゼントされることも見逃せません(本当に不定期です)。
中国で展開する勢いのある企業は、どこもアプリとWechatでのメディア戦略が上手です。
カードが複数枚あってもアプリで管理できます。
日本ではドトール派の私ですが、中国ではスタバをよく利用します。味や値段というより(上海ではどこのコーヒーチェーンも値段はほとんど一緒!)、使い勝手がよく、なんとなく安心感があるから。Wi-Fiも一度パスワードをデバイスに入力すれば、次からはどのお店に行ってもすぐにつながってラク。
でも、カードを持ってからリピート率が高くなったのは確かで、私も気がついたらスタバのグローバル戦略にまんまとはまっています。
ドトールが上海に来るまでは、まだまだスタバに行き続けそうです。
抗日戦争勝利の記念軍事パレードが行われた日、上海で
9月3日は北京で大々的な軍事パレードが行われました。
中国の公的メディアは「抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年」というタイトルで式典を報じていました。
中国はこの日から3日間連休です。意識的なのか「抗日」という言葉を使わず、「反ファシズム連休」と呼ぶ人やメディアがちらほら。
私はこの日、上海にて2週間前くらいから企画されていた昼食会に行ってきました。
メンバーは中国人7人(20代、30代、40代3人、50代、70代)、プラス日本人の私が一人。
声をかけてくれたのは以前から親交のある美食評論家の江礼暘先生。70代の方です。
江先生主宰の食事会には数年前から時々参加しています。連絡が来たときはこの日に中国人と食事会ってどうなんだろうと少し迷ったものの、まあ上海人はいつも国の行事にはクールだから大して気にしていないのかなあと思い、行きますと返事をしました。
ところが。
今回の行事は「閲兵」や「大閲兵」と呼ばれ、上海でも結構な盛り上がりなんです。
普段はテレビをほとんど見ない彼らが、この日はみんな朝から見ていたようで、Wechatのモーメンツ(Facebookの投稿みたいなもの)上には閲兵関連の投稿がガンガンアップされていきます。ちょっと笑えるコラージュのシェアも多数(中には悪趣味なものも)。
仲のいい人や日本人の友人が多い中国人、ファッションなどブランド関係者、インテリ層の一部は終始沈黙を貫いていましたが、その他大勢の熱狂っぷりに私は朝から引きぎみ。
今回の昼食会のメンバーはほとんどが顔見知りではありますが、どんな雰囲気になるだろうと思いながら出かけました。
レストランに着くなり、
「あ!来た来た、よかった」
「今日は日本人は来にくいかなと思ってた」との声が。
「・・・来ちゃまずかったですかね?」
「まずいと思うなら私は呼ばないよ」と、すかさず江先生。
他の人からも「全然気にすることないよ!」と口々に言われ、和やかに笑いあったそばから、40代の男性が「閲兵、閲兵」と言っていきなりレストランの個室にあったテレビのスイッチをオン。え、えー?
式典が気になっていたようで、みんな画面に目が釘付け。確かに、あっけにとられるほどすごい規模なんです。パレードに老兵の登場、航空ショーと、次々と展開されます。
とはいえ一緒になってテレビを見るのも、消してもいいですかね?と言うのもなんだかなあと思っていたら、江先生が「音を小さくしなさい」と一言。ほっとしました。
食事中は徐々に日中の歴史の話題へ。日本では1937年からの戦争をなんと呼んでいるのか、などと色々質問され、へええ、みたいな感じに。みんな興味津々なのです。
私もせっかくなので、「中国の人は盛り上がっているけど、今も多くの人は日本人のことが嫌いなんですか?抗日式典を見て憎しみがわいてきますか?」と聞いてみました。これについてはみんなが「は?」という感じで驚き、即座に首を横に振って否定。
「そんなのバカバカしい!」
「これはそういう行事じゃないんだよ」
「みんな自分たちの国の歴史観で勉強しているから、お互いに正しいと思っている歴史には偏りがあると思う。中国人も、当時の日本に何が起こっていたかをきちんと知らないという認識は、多くの人が持っているんだよ」
彼らと話していて思ったのは、どうやら70年を経て欧米諸国とも肩を並べられる大国になったことに、言葉にならない誇りを感じているようです。上海は租界のあった代表的な街ですから、その思いは一層強いのかもしれません。
昼食会は安徽省料理のレストランで行われました。ちょうど月餅(げっぺい)のシーズンだったこともあり、参加者の一人がお店特製のギフト用の月餅セットをお買い上げ。
中国語では「月餅」と「閲兵」はどちらも「ユエビン」と発音します。買った人が「ユエビン(閲兵)を見ながらユエビン(月餅)を食べよう!」と包みを開け、みんなで分け合って食べたのでした。うーむ・・・。
この閲兵によって、多くの中国人が国を誇りに思う気持ちをかきたてられたことは確かだと思います。
式典を全体的に見れば、日本憎しというメッセージは強調されていないように感じました。
ただ、国民の心を一つにした特別な式典の内容が軍事力を誇示するものであったことに危うさと拒否感を覚えてしまうのは、私が日本人だからでしょうか。
なんだかやりきれない気持ちが残りましたが、帰宅してからこの日の江先生を思い出すうちに落ち着いてきました。
私を食事会に呼んでくれた江先生は、ご家族を含めて戦争の影響でずいぶん苦労されたという話を、以前人づてに聞いたことがあります。
でもこの日、先生だけは軍事パレードについて自分からは一言も発しませんでした。食事の間、日本と中国には文化交流の長い歴史があることや、現代中国に浸透している日本語についてのユーモラスな話をされていました。
とりあえず先生に昼食会のお礼の連絡をすると、Wechatにメッセージが来ました。
「中国の人民はなにも日本人に反対しているわけじゃないんだよ。私たちはこれから先、何代にも何代にもわたって友好的な関係を続けていかなくっちゃ!」
最後に合掌と握手の絵文字。
疲れた一日でしたが、この日、中国の人たちと食卓を囲んで話をしたのは意味のあることだったかもしれないと思いました。
デジタル系の動きが気になる、上海ブックフェア
上海ブックフェアに行ってきました。
毎年大混雑する規模の大きい展示会です。先週、雨が降ったタイミングでのぞいてきました。
割とスムーズに入場できましたが、中に入ると人、人、人!
ほとんどのブースで本を割引価格で販売していて、完全にバーゲンセール会場の雰囲気。
一人で何十冊も買っている人が多数。まさに本の爆買い。業者というより、多くが個人のお客さんのように見えます。購入した本を発送できるカウンターもありました。
中国ではオンライン書店ができてから一般の書店が激減してしまったので、こうやって目の前で本が売れていく光景は新鮮です。
作家によるサイン会や講演、公開インタビューなどもあちこちで行われていました。
場所は上海展覧中心です。広い。
すごい活気でしたが、少し気になったのは出店のラインアップ。
本のブースを大々的に出していたのはどこも有名な大手出版社。ただ、このフェアだけを見て中国の出版状況の今がわかるかというと、ちょっと疑問です。中国には「出版社」とは名乗れないけれど話題の本を制作している会社がたくさんあるからです。雑誌社も管轄が異なるため、基本的には参加していません。
印象的だったのはデジタル方面です。
読書のためのデジタルプラットフォームは中国には既にいくつもあるのですが、国営の出版社でさえも独自に読書アプリを開発していたことに驚き。これが結構立派なつくりなんです。
また、アマゾン中国はキンドルブランドだけのブースを出していました。
さらに、一番目を引いたのはオーディオブック。
配信会社のアプリをダウンロードすれば即利用可能。豊富なタイトルがすべて無料だそうで、ユーザー数が急増しているとか・・・Audibleとは仕組みが違うんですね。この動きは要注目のような気がします。
QRコードを読み取るタイプのカタログもありました。ベストセラーも多数揃っています。
中国の人は小説が大好きです。
電子で読むのが一般的ですが、それでも、会場にあれだけの人が詰めかけて書籍を買っているので、紙の良質な本も必要とされていることは確かだと思います。
これからの時代の出版のあり方を考えさせられました。
文学・・・それは、上海生活にかかせない
日本と中国は同じ漢字圏。アジア人どうし顔かたちはよく似ているのに、考え方も行動もどうしてこんなに違うんだろう・・・と思うことが本当によくあります。5年が過ぎてもいまだに、こうきたか! と驚くことがしばしば。
そういう場所で生活するときに大切だと思うのは、心を落ち着け、自分を客観的に見つめること。
そのための一番の手助けになるのは、文学ではないかと思っています。
現代文学に古典、外国文学など、純文学はもちろん、エンタメ、ミステリー、あるいはエッセイやノンフィクション、さらには漫画もあり。
日本に帰ったときはKindleでは読めない、あるいは紙で読みたい本や雑誌を手に入れ、何を上海に持って行くかを考えることが大きなテーマになります。
先月の帰国では著書の方から本をいただく機会もありましたので、今回上海に持って来た本の一部を紹介したいと思います。
『風はこぶ』 青木奈緒著
機内誌の編集者時代にとてもお世話になった作家の青木奈緒さんに久しぶりにお会いし、ご著書の『風はこぶ』(講談社)をいただきました。
2009年から2年3ヵ月をかけて、雑誌「婦人之友」に掲載された連載小説をまとめた本です。
小説の後半には「歩み入る者にやすらぎを 去り行く人にしあわせを」という東山魁夷画伯によるラテン語の訳文が出てきます。心が温かくなる素敵な言葉です。
主人公は東京でインテリアコーディネーターとして働く30代の女性。読み進めていくと、話は海釣り、台風、地震へと展開していきます。人生の転機を迎えるなか、クライアントや被災した家に向き合う主人公を通して、住まいとは何か、暮らしとは何かを考えさせられます。
青木さんが紡ぐ言葉にはしなやかさと温かさ、そして独特の視点があります。
たとえば釣りのシーン。「釣り糸が海に刺さる一点をじっと見つめ」る主人公の心理が、こんなふうに描かれます。
船の下に広がる別世界と糸一本でつながっている。その感覚が好きだ。波にゆられて船は軽く上下し、動きにあわせて糸も伸び縮みしているように見える。船の上でぼんやり解放感にひたりながら、風に吹かれて時が流れる。その時は来るのかもしれないし、いつまで経っても来ないかもしれない。予想のつかなさ、思い通りにならなさが釣りの楽しみで、アタリが来たとしても、それは別世界からの恵みであって、自分自身で成し遂げられることはごくわずかしかない。そのわずかな部分をどうするか。一見、非日常と思える釣りも、日常とさして変わらない。
また、台風で荒れる海を見に行く場面も印象的。暴風雨で傘など差せず、雨水と海水が顔面を激しく打ちつける状況で主人公はこう考えます。
杏子はしきりと風の大きさを考えていた。総じて言えば、海から陸へ、南から北への風が吹いているのだが、それはおおまかな向きであって、風は決して一様ではない。びしっとひときわ強い雨を伴って吹きつける小まとまりな風もあれば、顔の左右から同時にぶつかる風も。そしてもちろん、踏んばっていなければ立っていられない大風も吹く。ひとつの速度と方角を持った風と、その隣りで吹く風と、境はいったいどこにあるのだろう。
都会の日常の中にも自然が深くかかわってくる感覚。
上海で生活するうちに、少し遠くなっていたこの感覚が呼び戻された気がしました。
『葦笛の鳴るところ』 福永十津著
続けて紹介したいのは、福永十津さんからいただいた『葦笛の鳴るところ』(眞人堂)。
福永さん(←ペンネームです)は私にとって出版業界の尊敬する先輩であり、10年来の飲み友達でもあります。
この小説は第1回丸山健二文学賞の受賞作。作家の丸山健二氏ご自身が選考し、該当作が出るまで募集期間を設けないという難関の文学賞です。募集開始から1年8ヵ月が経ち、今年の春についに決定したのがこの作品なのです。
出版社のホームページ内(http://shinjindo.jp/contents/
)から購入することができます。
諸国放浪の果てに東京の中洲で生活をする祈祷師と弟子の少年の物語。日本の民話の世界と現代社会を残酷なまでに深く見つめたところから搾り出されたようなストーリーが、力の漲る言葉で綴られます。
たとえば、祈祷を為す者の使命について、古いレコードに吹き込まれた話の大意を少年はこう解釈します。
そもそも日本の国土は、神々が海をかきまぜて生じさせた、土くれからできている。
そこに住まう人々は、たまたま土から生えてくる、葦草にすぎない。
海はいつも神々の目を盗んで沿岸を切り崩し、住む者の心を惑わせ、もとの海原に戻そうと欲している。
人より早く列島を支配した森もまた、隙あらば開墾によって奪われた草木の楽園を、旧に復そうと企んでいる。
(中略)そして、神に届く真の言葉を血肉から焙りだし、土地を侵そうと余念のない荒ぶる自然を慰め、神々に対し、葦のような人間が、泰平に暮せる奇跡を感謝し、その永続を衷心から祈祷せよ――。
さらに、祈祷師の師匠が説いた言葉も強烈です。
この国の危機はいまや、自然が人の領域を侵している、という段階ではない。人そのものが歴史上経験がないほど、大規模な劣化の過程にある。無数の葦どうしが、己れの寿命も分際も忘れ、自然そっちのけで奪い合い、潰し合う。
たかだか葦一本が、なにほどのものになろうというのか。
民草の欲望への開眼こそ最大の厄介。そう乱世の兆しを看破した。
葦どうしが、火をかけあうがごとき地獄を回避するには、一本一本の葦草が、言葉で己が自身を厳しく縛りつけ、律するしかない。
読み進めるほどに、日本のかたちをざわざわと感じさせる一冊でした。
『流』 東山彰良著
最後に、直木賞の受賞で話題の『流』(講談社)を。これは紙で読みたかった書籍の一つ。読みながら何度もうなってしまいました。この熱量。冒頭から終わりまで一気に疾走していくような感じがありました。
中国語がわかると、この小説の面白さがよりいっそう感じられるように思います。
あらすじは既に色々なところで紹介されているので省きますが、上海で中国大陸の人とも台湾の人とも友人になり、みんなで食事をする機会もある日本人の私には、色々思うところがありました。仕事などで中国に少しでもかかわっている人は必読の小説だと思います。
登場人物が実に生き生きと描かれていて、「あ、こういう人上海にもいる!」と笑ってしまった場面も多数。狐火もよかったです。
中国語の混ぜ方も絶妙。骨太なストーリーの中に現れる、「魚問」という詩の一文が心に残ります。
「魚説・・只因為我活在水中、所以你看不見我的涙(魚が言いました・・わたしは水のなかで暮しているのだから あなたにはわたしの涙が見えません」
中国語でも美しい響きの詩だと思いました。
物語の醍醐味は、情景をイメージしながらその世界に浸ること。いい物語に出会うと、自分や物事を一歩離れたところから見つめる力が培われるように思います。また、魂のこめられた母国語の文章に触れると、心の筋肉がついてくる感覚があります。海外に身を置いていると、これらの作用がとても大切。
上海での生活に日本の食べ物や日用品、化粧品も必要だけれど、この刺激の多い街で心穏やかに暮らすには、いい文学はなくてはならない必需品だと実感しています。