今日も上海日和。

森麻衣佳のAll About公式ブログ。上海で起きていること、日々のこと。

文学・・・それは、上海生活にかかせない

 

日本と中国は同じ漢字圏。アジア人どうし顔かたちはよく似ているのに、考え方も行動もどうしてこんなに違うんだろう・・・と思うことが本当によくあります。5年が過ぎてもいまだに、こうきたか! と驚くことがしばしば。

そういう場所で生活するときに大切だと思うのは、心を落ち着け、自分を客観的に見つめること。

 

そのための一番の手助けになるのは、文学ではないかと思っています。

現代文学に古典、外国文学など、純文学はもちろん、エンタメ、ミステリー、あるいはエッセイやノンフィクション、さらには漫画もあり。

 

日本に帰ったときはKindleでは読めない、あるいは紙で読みたい本や雑誌を手に入れ、何を上海に持って行くかを考えることが大きなテーマになります。

 

先月の帰国では著書の方から本をいただく機会もありましたので、今回上海に持って来た本の一部を紹介したいと思います。

 

 

 

『風はこぶ』 青木奈緒著

 

機内誌の編集者時代にとてもお世話になった作家の青木奈緒さんに久しぶりにお会いし、ご著書の『風はこぶ』(講談社)をいただきました。

2009年から2年3ヵ月をかけて、雑誌「婦人之友」に掲載された連載小説をまとめた本です。

 

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小説の後半には「歩み入る者にやすらぎを 去り行く人にしあわせを」という東山魁夷画伯によるラテン語の訳文が出てきます。心が温かくなる素敵な言葉です。

 

 

主人公は東京でインテリアコーディネーターとして働く30代の女性。読み進めていくと、話は海釣り、台風、地震へと展開していきます。人生の転機を迎えるなか、クライアントや被災した家に向き合う主人公を通して、住まいとは何か、暮らしとは何かを考えさせられます。

 

青木さんが紡ぐ言葉にはしなやかさと温かさ、そして独特の視点があります。

たとえば釣りのシーン。「釣り糸が海に刺さる一点をじっと見つめ」る主人公の心理が、こんなふうに描かれます。

 

船の下に広がる別世界と糸一本でつながっている。その感覚が好きだ。波にゆられて船は軽く上下し、動きにあわせて糸も伸び縮みしているように見える。船の上でぼんやり解放感にひたりながら、風に吹かれて時が流れる。その時は来るのかもしれないし、いつまで経っても来ないかもしれない。予想のつかなさ、思い通りにならなさが釣りの楽しみで、アタリが来たとしても、それは別世界からの恵みであって、自分自身で成し遂げられることはごくわずかしかない。そのわずかな部分をどうするか。一見、非日常と思える釣りも、日常とさして変わらない。

 

 

また、台風で荒れる海を見に行く場面も印象的。暴風雨で傘など差せず、雨水と海水が顔面を激しく打ちつける状況で主人公はこう考えます。

 

杏子はしきりと風の大きさを考えていた。総じて言えば、海から陸へ、南から北への風が吹いているのだが、それはおおまかな向きであって、風は決して一様ではない。びしっとひときわ強い雨を伴って吹きつける小まとまりな風もあれば、顔の左右から同時にぶつかる風も。そしてもちろん、踏んばっていなければ立っていられない大風も吹く。ひとつの速度と方角を持った風と、その隣りで吹く風と、境はいったいどこにあるのだろう。

 

 

都会の日常の中にも自然が深くかかわってくる感覚。

上海で生活するうちに、少し遠くなっていたこの感覚が呼び戻された気がしました。

 

 

 

『葦笛の鳴るところ』 福永十津著

 

続けて紹介したいのは、福永十津さんからいただいた『葦笛の鳴るところ』(眞人堂)。

福永さん(←ペンネームです)は私にとって出版業界の尊敬する先輩であり、10年来の飲み友達でもあります。

この小説は第1回丸山健二文学賞の受賞作。作家の丸山健二氏ご自身が選考し、該当作が出るまで募集期間を設けないという難関の文学賞です。募集開始から1年8ヵ月が経ち、今年の春についに決定したのがこの作品なのです。

 

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出版社のホームページ内(http://shinjindo.jp/contents/maruyama_award.html
)から購入することができます。

 

 

諸国放浪の果てに東京の中洲で生活をする祈祷師と弟子の少年の物語。日本の民話の世界と現代社会を残酷なまでに深く見つめたところから搾り出されたようなストーリーが、力の漲る言葉で綴られます。

 

たとえば、祈祷を為す者の使命について、古いレコードに吹き込まれた話の大意を少年はこう解釈します。

 

そもそも日本の国土は、神々が海をかきまぜて生じさせた、土くれからできている。

そこに住まう人々は、たまたま土から生えてくる、葦草にすぎない。

海はいつも神々の目を盗んで沿岸を切り崩し、住む者の心を惑わせ、もとの海原に戻そうと欲している。

人より早く列島を支配した森もまた、隙あらば開墾によって奪われた草木の楽園を、旧に復そうと企んでいる。

(中略)そして、神に届く真の言葉を血肉から焙りだし、土地を侵そうと余念のない荒ぶる自然を慰め、神々に対し、葦のような人間が、泰平に暮せる奇跡を感謝し、その永続を衷心から祈祷せよ――。

 

 

さらに、祈祷師の師匠が説いた言葉も強烈です。

 

この国の危機はいまや、自然が人の領域を侵している、という段階ではない。人そのものが歴史上経験がないほど、大規模な劣化の過程にある。無数の葦どうしが、己れの寿命も分際も忘れ、自然そっちのけで奪い合い、潰し合う。

たかだか葦一本が、なにほどのものになろうというのか。

民草の欲望への開眼こそ最大の厄介。そう乱世の兆しを看破した。

葦どうしが、火をかけあうがごとき地獄を回避するには、一本一本の葦草が、言葉で己が自身を厳しく縛りつけ、律するしかない。

 

 

 読み進めるほどに、日本のかたちをざわざわと感じさせる一冊でした。

 

 

 

『流』 東山彰良著

 

最後に、直木賞の受賞で話題の『』(講談社)を。これは紙で読みたかった書籍の一つ。読みながら何度もうなってしまいました。この熱量。冒頭から終わりまで一気に疾走していくような感じがありました。

 

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中国語がわかると、この小説の面白さがよりいっそう感じられるように思います。

 

 

 あらすじは既に色々なところで紹介されているので省きますが、上海で中国大陸の人とも台湾の人とも友人になり、みんなで食事をする機会もある日本人の私には、色々思うところがありました。仕事などで中国に少しでもかかわっている人は必読の小説だと思います。

 

登場人物が実に生き生きと描かれていて、「あ、こういう人上海にもいる!」と笑ってしまった場面も多数。狐火もよかったです。

 

中国語の混ぜ方も絶妙。骨太なストーリーの中に現れる、「魚問」という詩の一文が心に残ります。

「魚説・・只因為我活在水中、所以你看不見我的涙(魚が言いました・・わたしは水のなかで暮しているのだから あなたにはわたしの涙が見えません」

中国語でも美しい響きの詩だと思いました。

 

 

 

 

物語の醍醐味は、情景をイメージしながらその世界に浸ること。いい物語に出会うと、自分や物事を一歩離れたところから見つめる力が培われるように思います。また、魂のこめられた母国語の文章に触れると、心の筋肉がついてくる感覚があります。海外に身を置いていると、これらの作用がとても大切。

上海での生活に日本の食べ物や日用品、化粧品も必要だけれど、この刺激の多い街で心穏やかに暮らすには、いい文学はなくてはならない必需品だと実感しています。